水戸学から皇国史観へ-3-吉田松陰2018/06/02 15:34

藤田東湖が名声を高めるにつれ、多くの人物が訪問し水戸学は各地に広まっていく。

そうなると徳川御三家の縛りがなくなる。反徳川の性格が加わった。

特に活発だったのが吉田松陰の松下村塾だ。

また一部の公家も水戸学に共鳴してきた。これが松下村塾派に好都合となった。

反徳川の風潮は過激化し「天誅」の名の下にテロを繰り返していく。

「尊皇」よりも「倒幕」に主眼が移っていく。水戸学は当初から見ると可成り変質してしまった。

さらに藤田東湖の頃から見られていたが、対外進出ないし帝国主義的性格があらわになってくる。