無荒史談57-極東日本史(6)-高麗王朝時代2008/03/11 19:30

一時期活発であった唐・新羅と日本の交流は、8世紀終わり頃から次第に活動が弱まる。この時期には唐・新羅とも混乱の時代に入っている。

唐は次第に党派の抗争が盛んになり、更に武宗による仏教弾圧などがあり、日本にとって魅力ある文化の提供先にならなくなった様である。新羅も党派の争いが盛んになり、混乱状態が続いた。

新羅の混乱は次第に強くなりついに高麗王朝に取って代わられた。また、唐帝国も崩壊し、五代十国の兵乱を経て宋王朝が誕生している。この頃(平安中期)この頃日本の政府は大陸との交流に消極的になっている。宋王朝の成立を知らなかった人物もいたほどである。また、高麗と日本との交流はあまりなかった。

高麗はまもなく遼・金・元といった北方民族の国家に脅かされる。内部の混乱が続きついに元の手先となって日本への侵攻の手伝いをやらされる羽目となった。しかも、元軍は日本武士の応戦と悪天候の為に惨敗した。元はなおも日本侵略をあきらめなかったが、国内事情で断念せざるを得なかった。

朝鮮はこの頃より中国に対して臣従させられることが厳しくなっていく。