無荒史談247-日本の神々-建勲神社2010/02/15 18:51

織田信長を主神とし、その子信忠をも祀る。

 織田信長については多くの資料があり、ここに無荒老が蛇足を加えることは止める。

 嫡子の信忠に関して言えば、本能寺の変で対処を誤った不肖の息子といいたい。

 彼は全てを捨てて安土なり岐阜へと逃走すべきであった。それは父信長が北陸から逃走して再起した故事に倣うべきであったのである。明智光秀もその点は承知していた様であるが、全力で逃げれば逃げおわせたと思われる状況証拠すらある。

 光秀にすれば信忠を打ち漏らすとなれば蜂起は半ば失敗であるのである。そのために信長と信忠を同時に倒せる機会に蜂起していると思われる。この様な状態を作ったのは織田父子の致命的なミスとも言える。

 信忠がこの緊急時を逃れたとすればその後の日本史は可成り変わっていたかも知れない。