無荒史談200-征夷大将軍-徳川吉宗2009/06/25 19:01

徳川泰平の世が続き、それとともに奢侈の風習が出てきた。諸大名が奢侈の風に染まり、藩の財政を悪くすることは幕府にとり歓迎すべきではあるが。徳川家も可成りの奢侈をしないと大名に贅沢させるわけにはいかない。泰平の世が続くと徳川家も諸大名も財政が苦しくなってきた。商人の中には「大名貸し」と言って諸大名に高利で金を貸していたのもいたが、大名の中には踏み倒して平気な家もありそのために倒産した商人も少なくない。

吉宗はこの財政危機を建て直すことを求められて一応の成功を収めたのである。

彼は御三家の一つ紀州家より将軍となったが、自己の血統が今後も将軍の座を占めるように御三卿を創設する道を選んだ。また、側近政治を通じて幕府システムを改革している。吉宗の後将軍自身が政治に関与することは少なくなったのである。