無荒史談 309 木曾義仲敗死-息つくまなく西へ行軍2014/05/17 16:36

義仲と行動を共にしていた源行家はついに反義仲の兵をあげた。そのため義仲は乏しい兵力を割いて戦闘せざるを得なかった。しかも義経、範頼の軍が攻めてくるというときに。

 兵力の差はいかんともしがたく、義仲軍は壊滅する。そして義仲自身も敗走の途中で戦死するのである。行家を攻めた兵は帰ってきたが、戦闘に間に合わなかった。義仲の主要な家臣は全員死んだ。

 この時平家は勢力を挽回して福原の旧都に進出していた。後白河院は、義経。範頼に対し直ぐに平家を追討するよう命令するのである。東国勢は直ぐに西へ出発した。初めからそのつもりであったかのように。

 何しろ京都は、大軍が駐留するようにはできていない。一の谷の合戦までは武士たちはあまりいなかったようだ。その方が後白河院には都合がよかったようだ。

 そして摂政の地位は義仲を後ろ盾とした基房の子からいったん退職した基実へ移るのである。なお、慣例としていったん退職した摂関は、再任しないことだったのだが。この人事は男色の所為とする話もある。九条兼実の日記にそう記してある。