無荒史談46-歴代の中で疎略に扱われた帝2-飯豊天皇2008/02/12 19:23

古事記・日本書紀共に1年未満であったが、政治を見たことが記されている。これは皇位にあることと解釈して良い。

皇位にあることが2月から11月であったとされているので、慣例として即位の儀式は行われていない。即位式は皇位継承後年が明けてから行われるのが恒例である。これは現代でも続いている。昭和天皇も今上陛下も即位式を挙げられたのは皇位継承の年が明けた後である。

在位期間は後に歴代に加えられた仲恭天皇よりも長いのである。どうして歴代に加えられなかったのかその理由はあまり明確ではない。正史でない歴史書には24代天皇(この計算では神功皇后が歴代に入っている)となっているものもあるが。

これだけ重要な人物であるにも拘わらず、古事記と日本書紀では系図上の場所が異なる。これも異常である。どちらかが間違いであるか双方とも間違いであると言える。また、先代の記録「清寧天皇記」の中で、夫との関係が記されている。これも珍しい記事である。夫がいた天皇とすれば、女帝に関する議論に有効な事実を提供することとなるが、夫が誰であるかも解っていない。

ところで清寧天皇紀の記事が正しいとすれば、系図上の位置には問題がある。系図上では履中天皇の子か孫であるが、履中天皇の子とすると誕生後の帝の治世は反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇の後に清寧天皇が来る。当時の年数の数え方に問題があるとしても可成りの老婆となり、記事の信頼性は薄い。また、孫としても雄略天皇の即位前に生まれていることが必要であり、雄略天皇の治世を勘定するとこれでもかなりの年である。ちなみに雄略天皇の治世22年はそんなに誤差はないと無荒老は考えている。

古代史上もっとも謎に満ちた女帝である。