無荒史談47-歴代の中で疎略に扱われた帝3-弘文天皇2008/02/14 18:57

明治以前には皇位を継承したとは見なされていなかった。明治3年に始めて諮号をうけて歴代に加えられた。

弘文天皇は壬申の乱で天武天皇と戦って破れ自殺した。ところで壬申の乱では天武天皇は弘文天皇とだけ戦い、天智天皇の他の皇子達とは戦っていないのである。つまり弘文天皇は兄弟を味方に付けることが出来なかったのである。更に不思議なことは、弘文天皇の皇子も生き残っている。漢学者として名高い淡海三船は天皇の曾孫である。

弘文天皇の皇后は十市皇女であり、天武天皇の皇女である。この方も夫を裏切り、父の天武天皇に情報を流しているのである。ちなみに天智天皇の皇女である天武天皇皇后の持統天皇は夫と共に行動しているのである。また、川島皇子と志貴皇子は天武天皇治世時に皇族として処遇されており、志貴皇子の皇子は光仁天皇である。

弘文天皇は、父の天智天皇にはその才能を買われていたが、何か問題を抱えておられたのではないか。全く親族の協力を得ていない。