無荒史談89-清和源氏物語9-足利氏と新田氏2008/06/10 19:06

足利氏と新田氏は共に源義家の3男の源義国から出ている。兄の義重が新田氏、弟の義康が足利氏を創設した。この兄弟では義康の方が力があった様だ。保元の乱では義康は義朝と並ぶ大将として見えているが、義重は影が薄い。

頼朝の挙兵の時は、足利氏が早く参加したのに対し、新田氏の参加はやや遅れている。また、北条氏とも足利氏が婚姻関係にあったのに、新田氏はその縁が薄い。

建武の中興の時、京都を攻めて功績があった足利尊氏の方が、鎌倉を攻めて当主の北条高時を滅ぼした新田義貞よりも功労の順が上であった。

足利尊氏の名声が上がり、これに同調する武士が増えると、後醍醐天皇は新田氏を使って対抗しようとした。新田義貞はこれに応じ、一族を挙げて足利氏との抗争に入った。

戦乱は足利幕府の勝利に終わり、新田氏はその存在が忘れられる様に衰弱した。しかし、足利幕府の後に幕府を開いたのは、新田氏の一族の後裔と称する徳川氏である。