無荒史談95-天皇機関説考-平安初期-中期 ― 2008/06/28 19:31
桓武天皇は、擁立した藤原氏の予想以上に名君であった。二度の遷都や対蝦夷政策など権力をふるわれており、藤原氏の道具ではなかったようだ。また子の嵯峨天皇も優れた危機管理力を示している。
しかし、藤原氏の勢力は次第に比重を増し、天皇は形式上は最高主権者であったが、摂関にその地位を奪われるようになっていく。この時期は天皇は国家の機関としての地位すら持っていなかったのである。
この時代には、藤原氏に対抗しようとした-または天皇が対抗馬としようとした-多くの臣下が巧妙な手段で排除されていく。源高明、菅原道真、伴善男などが代表的である。
また、多くの天皇が藤原氏の為に退位している。陽成天皇、花山天皇、三条天皇、冷泉天皇である。いずれも身体または精神的に正常とはいえない方ではあったが。
なお、平安時代の帝は短命な方が多い。平均寿命の短い時代とはいえ、30代で多くの帝が崩御されている。これも藤原氏の政権に有利に働いている。
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