無荒史談94-天皇機関説考-藤原京→平城京時代2008/06/25 19:13

この時代の女帝は可成り親政に近い立場を取られていたが、男性の諸帝は実力に欠けていたようだ。

この時代も臣下が政治を担当していた。臣下と言っても有力皇族、賜姓の貴族(橘氏など)、振興の藤原氏、勢力衰退期であった大伴氏、紀氏などである。天皇の権限は大きかったが、現実には女性上皇の力が強かったし、実務は臣下が見ていることが多かった。ただ、有力皇族や多くの貴族は粛清の憂き目にあった。結局藤原氏が残ったのである。

天武天皇の後子孫が絶えた後、臣下が協議して光仁天皇を立てたのは、太古の例と同じである。