無荒史談93-天皇機関説考-大化の改新まで2008/06/22 19:29

継体天皇の後の皇位は、即位の順に一定の順番があるように見えない。この時代は有力豪族特に蘇我氏の意向で皇位が決まっていたとも考えられる。

こうしてみると天皇は絶対的な力があったわけではなく、有力豪族が中心で政治をし、その実行に当たり承認していた程度と見られる。豪族の中には聖徳太子のように皇族も含まれていたようである。形式上は最高執行者であっても、現実には豪族の協議体にのっかっていたと思われる。

この間に物部氏、上宮家(聖徳太子の子孫)、蘇我氏と有力者が相次いで滅ぼされ、大化の改新を迎えた。

大化の改新は天皇家の主導で行われ、唐から帰った留学生達により改革が行われている。途中に壬申の乱のような事件はあったが、大臣を一人も置かなかった天武天皇の時代には天皇独裁が行われていたようだ。

天武天皇の時代に改革の一応のメドがつき、その後の天皇は新体制の一つの機関化していく。