無荒史談 303 富士川の戦い-惨めな帰京2014/04/05 16:50

この頃武士階級には平家に対する不満が鬱積していたと思われる。特に関東ではそうだ。そうでなくては頼朝の挙兵が成功したのが説明しにくい。

 その良い例が石橋山での梶原景時の見逃しであろう。殺して手柄を挙げられたのにそうしなかった。そして頼朝が安房に逃げることに成功すると関東の武士達はわれもわれもと参陣するのである。

 頼朝を討伐するのに平家は維盛を大将、忠度を副将に起用して攻め下った。ところでその軍勢の主力は京都に大番役できていた関東武者であった。

 関東武者は対戦の場の富士川に来ると次々に頼朝の方へ参陣するのである。何のことはない相手の軍勢をわざわざ引き連れてきたのである。更にその他の軍勢は平家がかり集めた武士達であり、あまり戦意がなかったと見られる。

 平家は戦わずして敗走する。とにかく逃げるのだ。遅れると落ち武者狩りにやられるのは分かり切っている。かり集めた武士達も油断できないのだ。平治の乱での義朝の横死は30年ほど前の話に過ぎない。

 出発時は堂々とした武者ぶりであったのが見るも哀れなザマで帰ってきたのである。京の住民はどう見たろうか。なんとこの敗戦にも拘わらず維盛は昇進するのである。