無荒史談68-院政の上皇-元明上皇 ― 2008/04/09 18:55
父の草壁皇太子と同じく病弱であった文武天皇は治世の前半を祖母の持統上皇とのいわば共同統治として過ごしたと見られる。持統上皇の崩御後の5年は親政をしたと見られるが、治世僅か10年僅か25才で崩御した。その遺詔によって母の元明天皇(草壁皇太子妃)が即位した。それは幼児であった聖武天皇が即位するまでのつなぎの性格であった。
天皇の事業として平城京の建設が挙げられる。先代まで2代の都藤原京が捨てられ、新帝都が作られたのである。これが奈良時代の始まりである。遷都の時の御製として次の歌が残されている。
飛ぶ鳥の飛鳥の里をおきていなば君があたりは見えずかもあらむ
元明天皇は皇位を聖武天皇でなく、その姉の元正天皇に譲っている。それから母娘での共同統治が始まっているのである。あるいは聖武天皇の頼りなさを見たのかも知れない。上皇の存命中には聖武天皇は即位されていない。
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