無荒史談106-怨霊物語-桓武天皇周辺2008/08/01 19:06

平安時代の初めから怨霊が頻繁に登場してくる。桓武天皇は、実力があり、親政の実を上げられた方であるが、その周辺には多くの怨霊が存在している。

まずは父光仁天皇の正妻であった井上内親王とその子の他戸皇子である。他戸皇子は初め皇太子として擁立されていた方である。

桓武天皇は母の出自が低い為、皇位を継ぐべき順位は低く-恐らく最低-であった方である。しかし、藤原氏-特に百川-は天皇の素質を認め、その即位に期待するものがあった。行き詰まった奈良朝政治を変革できるのはこの方を置いて他にないと思ったのであろう。ただ他の貴族階級を納得させる為に井上内親王と他戸皇子をとりあえず皇后、皇太子としたと見られる。

この二方はまもなく謀反の罪を着せられ、廃位されている。二方とも不審の死を遂げられている。後釜の皇太子が山部皇子即ち桓武天皇である。

ついで天皇の義弟の早良皇子である。この方も皇太子となったが桓武天皇の反対勢力に担がれて、廃位、自殺となった。

この方方の怨霊に関して朝廷はいろいろと祈祷などの対策をしている。早良皇子については「崇道天皇」という贈り名を奉っているほどである。

桓武天皇は可成り強引な政治をなさった方である。いろいろな事件に際しこれらの方の怨霊を慰めるという行動を取られている。問題を怨霊の所為にしたのか?

米原潜の放射能洩れ2008/08/02 19:07

外務官僚というものは日本国民よりもアメリカの方が大事と考えていることが証拠立てる事例がまた出てきた。

なんとアメリカ側では公開してよいと思って知らせてきたこと-つまり報道関係者が容易に知りうるたぐいの情報-をアメリカ大事に考えすぎて日本国内に公開しなかったのである。

考えを改めてもらわなくては困る。日本国民よりアメリカが大事な外務省は要らないのだ。

日本国民を大事にすればアメリカもそれを理解できると思われる。その方がお互いの国の為になるのが今の外務省には解らないのだ。

無荒史談107-怨霊物語-菅原道真2008/08/03 19:16

現在は学問の神様となっているが、これはたぶんに江戸時代の「菅原伝授手習鑑」の影響と思われる。中世では、荒ぶる神「雷神」の印象が強いのである。

今をときめく大臣から、太宰府に流罪同様に左遷されてその地で亡くなったのである。その恨みが「雷神」となったと伝えられている。また、讒言した藤原時平に祟りをなしたと言われ、それも護持僧が祟りを妨げるとして自分を抜擢した宇多法皇の夢に現れ、三善清行の子であるその護持僧に祈祷を止めるように頼んだと伝えられている。

祟りは時平一代で止んだようだ。弟の忠平は菅原道真と親交があり、左遷後も文通している。これが祟りを免れた理由とされ、更に道真が忠平の子孫を守ったと言われている。

中世では、天神様即ち雷神と見なされていることが多く、元寇の時は日本の神々の総大将として、神風が吹く戦をしたとまで言われている。学問の神様の印象は薄いのである。

天神様は日本の津々浦々にあるといっても過言ではない。このように多くの箇所で祀られている人は他には伝説の武勇の天皇「応神天皇」の八幡様があるくらいである。お稲荷様も多いがこれは人物を祀ったわけではない。学問の神よりは雷神として祀られたのが起源ではないだろうか。

金剛山2008/08/04 19:16

この事件は北朝鮮の外交の「定石」を考えると理解しやすいと思われる。

北朝鮮の外交定石は、相互に譲歩することを申し合わせる。そして相手の譲歩が済まされた後いろいろな言いがかりを付けて自分の譲歩を取り消すのである。

これも韓国からの譲歩の食い逃げの面があるのではないか。詳しいことは解らないけれども。多分今まで約束した韓国に対する案件を反故にするのであろう。

ところがこの手を毎回くっていても気がつかないのがブッシュ政権である。多大の譲歩を繰り返してやっと手に入れたものが冷却塔一つの破壊と言ってもよいだろう。割の合わない話である。

明石の教訓が生かされていない2008/08/05 19:08

今回のエスカレーター事故を見て明石の花火大会の事故のことを思い出した人は無荒老だけではないだろう。

今回はむしろ幸運だったと言えるのではないか。一歩間違えれば明石程度の事故になってもおかしくはない。

警察も遅ればせながら警備会社の責任追及に乗り出したようだ。無荒老は警備会社の責任が最も大きいと考えている。

警備会社に対して過去の事故の事例を社員に教育し、同様な悲劇が起こらないようにするように徹底した指導を行うべきではないか。

また、警備上問題がある事故を起こした場合は、刑事犯として処罰する道を設けるべきであろう。また、不当に警備会社の指示に違反した人間にも処罰を与えるべきであろう。要は人命尊重である。