無荒史談107-怨霊物語-菅原道真2008/08/03 19:16

現在は学問の神様となっているが、これはたぶんに江戸時代の「菅原伝授手習鑑」の影響と思われる。中世では、荒ぶる神「雷神」の印象が強いのである。

今をときめく大臣から、太宰府に流罪同様に左遷されてその地で亡くなったのである。その恨みが「雷神」となったと伝えられている。また、讒言した藤原時平に祟りをなしたと言われ、それも護持僧が祟りを妨げるとして自分を抜擢した宇多法皇の夢に現れ、三善清行の子であるその護持僧に祈祷を止めるように頼んだと伝えられている。

祟りは時平一代で止んだようだ。弟の忠平は菅原道真と親交があり、左遷後も文通している。これが祟りを免れた理由とされ、更に道真が忠平の子孫を守ったと言われている。

中世では、天神様即ち雷神と見なされていることが多く、元寇の時は日本の神々の総大将として、神風が吹く戦をしたとまで言われている。学問の神様の印象は薄いのである。

天神様は日本の津々浦々にあるといっても過言ではない。このように多くの箇所で祀られている人は他には伝説の武勇の天皇「応神天皇」の八幡様があるくらいである。お稲荷様も多いがこれは人物を祀ったわけではない。学問の神よりは雷神として祀られたのが起源ではないだろうか。