無荒史談54-極東日本史(3)-高句麗と三韓2008/03/04 19:43

漢民族は、周囲の民族を動員して戦争している。古くは周の武王が殷を倒した時の檄に見える。また、交流も続いており、春秋の五覇の一人晋の文公は異民族の血が流れているほどである。

晋王朝が三国時代を解消し中国を統一して平和がきたのもつかの間、王族内部での対立から内乱が発生した。三国時代には可成りの異民族が中国本土内に住み着いていた。内乱の当事者はこれらの異民族を戦力として使った。廂を貸して母屋を取られるとの喩えどおり、北部中国は異民族の天下となった。5胡16国の兵乱である。漢民族の権威は衰え、南満州には高句麗が勃興した。また、南朝鮮には三韓が成立した。

日本書紀には倭国が三韓地方に出兵した記事が数多くある。一つの理由は三韓諸国の要請を受けた出兵であろう。無荒老は異民族の武力として利用されたものと思っている。二つ目は武力を背景とした通商である。これも古代からよく見られる状況である。この場合、日本側の記録では「朝貢」となっているが、実態は強引な貿易であろう。

記録から見れば、倭国の方が新羅や百済よりも早く国内統一をはたしている。また、新羅も百済も地域を統一したといえ、その版図は倭国より可成り狭いものである。倭国の武力は可成り当てにされたのではなかろうか。

高句麗の広開土王の碑に倭との交戦ことが書かれている。しかし、PR好きの日本側の記録にはこれに相当するものがない。不思議である。無荒老はこれを次の様に解釈している。[独断と偏見を持って]

「この倭人は韓民族が騙った偽物である。倭人と言えば恐れられると思ってそう称したに過ぎない。」

三韓は倭国を巻き込みながら抗争を続けて統一への動きを強めていった。特に百済は日本に仏教を伝えるなどの交流を深めることにより、同盟関係を構築する様に心がけた。