無荒史談60-極東日本史(9)-開国2008/03/19 18:43

日、清、李氏朝鮮は17世紀から鎖国している。ところがこの内容は3国それぞれである。

日本-長崎に奉行の監督の下に外国との交流をしている。オランダと交渉を持ち、欧州の事情を幕府自身が把握している。しかも情報をあまり秘密にしなかったので、いろんな識者間に伝わっていた。

清-交流は官許の民間商人が行っていた。政府は原則として西洋人と交渉しなかった。必要な時は商人を介在させていた。情報は商人が握っていたが、これを官が利用することは少なかった。

李氏朝鮮-清の宗主権の下で国が存在したこともあり、自前の情報を持っていなかった。

これを開国前後の状況を見ると次の様に差がある。

日本-最初は攘夷であったが、自分の実力を認識すると共に開国に大きく舵を取った。そして内戦を経て政治体制を一変させた。今までの様に先進文化の吸収が多い国であったが、ここに来て吸収先を中国本土より欧州諸国にスムースに切り替えた。

清-アヘン戦争の敗戦で、実力が劣ることを認識したが、大国意識がなかなか抜けず、欧州文化の吸収がなかなか進まなかった。何しろかって自分と同等以上の文化に接したことがなかったのである。

李氏朝鮮-以前から国内の政争が続き、混乱状態が続いていた。しかし、どの勢力も攘夷一辺倒であったので、開国に立ち後れた。開国は清の勧告による面が多く、自前での開国はなされなかった。

対西洋に関して政治形態が変わったのは日本がすぐに自力で成し遂げたのに対し、清は可成り遅れ、日露戦後の辛亥革命を待たねばならなかった。しかも、日本軍の侵攻にさらされるなどの苦悩の後漸く人民中国の成立を見て安定した政権が誕生した。朝鮮半島では、日本による併合で一旦亡国の目にあい、日本の敗戦で漸く独立が回復された。これで始めて旧体制が一掃されたのである。しかし、国は南北に分立し、それぞれが独自の道を歩いている。