無荒史談109-怨霊物語-院政時代1 ― 2008/08/09 19:14
この時代の怨霊には他の時代と変わった点がある。それは源氏で非業の最期を遂げた武士に怨霊となった人がいないと言うことである。ひと時代前であれば怨霊として出てきたような事例でもそうはなっていないのである。
それは次の人々である。為義、義賢、義仲、義経、範頼、頼家等々。平家でも後世の戯作に出てくる人はいるが、この時代には怨霊と見なされた形跡は見られない。僅かに頼朝が死につながった落馬の場面で安徳天皇以下の怨霊が出たと伝えられているくらいである。
これに対し、朝廷関係には怨霊や妖怪が伝えられているのである。この中から述べることとする。
まずは三井寺の僧頼豪である。呪力ある僧として有名であり、時の白河天皇から皇后に皇子が誕生するように祈ることを依頼された。首尾良く皇子誕生となった。そこで恩賞は意のままと言うことになった。
頼豪は「天台宗の戒壇を三井寺に設置することを勅許して欲しい」と言った。天台宗の戒壇がある延暦寺と三井寺とは犬猿の仲であり、延暦寺の僧兵をもてあましていた天皇にとってこれは飲めない話であった。そこで拒否されることとなった。
頼豪は大いに怒り、生まれた皇子を呪い殺し、自分も死ぬと言って堂に隠り呪法を始めた。やがて頼豪も死に、皇子も亡くなられた。
頼豪は太平記の中にも登場し、悪霊の一つになっている。
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