無荒史談145-日本の戦-歴史書以前4-安康天皇から欽明天皇へ2008/11/23 19:05

允恭天皇の崩御後、皇太子の軽皇子に人望がなく皇位継承騒動の後安康天皇が即位した。天皇はやがて后の連れ子に暗殺された。なお、この事件の発端になった殺した人の妻を娶るのは当時は特に不謹慎なことではなかったと思われる。天皇暗殺の事態を収拾したのは弟の雄略天皇であるが、この時有力皇族である忍歯の皇子を殺している。この時に古代の有力豪族の葛城氏が滅びたことは前に述べた。

雄略天皇の崩御後、欽明天皇の即位までの間は謎が多い時代である。継体天皇の治世の一時期を除き混乱が続いたとしか思えない。短期間に即位した帝の数があまりにも多いのである。多分内戦状態ではなかったか。

日本国内の混乱の中、三韓地域の日本の影響力は衰えたものと推定される。継体天皇は新羅に出兵することで退勢挽回を図ったと思われる。ところが九州の豪族磐井が反乱を起こした為、この計画が大きく狂ってしまった。

朝廷は1年余をかけて磐井を征伐した。その後に新羅へ進出したのであるが、旨くいかず、再び国内は混乱に陥っている。この中で任那の日本府が失われた。

なお、任那の日本府は不思議な存在である。失われた記録はあるが設立された記録がないのである。

日本の混乱は欽明天皇によって回復された。この時に仏教が公認されたのは前に述べた通りである。