無荒史談199-征夷大将軍-徳川綱吉2009/06/20 19:02

家光を継いだ家綱の時代は、先代の重臣が努力したため順調な滑り出しと言えるが、家綱自体は病弱で子供が出来ず、弟の綱吉に将軍職が渡された。

綱吉は将軍になる前に大名の経験がある初めての徳川将軍である。「生類哀れみの令」で評判を落としているが、その他の部分では善政を敷いたと言える。

徳川政権の安定に伴い経済は活性化して元禄文化を生み出した。これは善政の証拠と言えよう。又「忠臣蔵」事件では断固とした処置を取ったのである。

即ち忠臣蔵は幕府の処置に対して武装蜂起して異議申し立てをしたのである。この事実を判断の基準として行動している。徳川幕府300年の間で、幕府の措置に反対して武装蜂起したのは幕末を除けば他に存在しないのである。

彼にも跡継ぎの男子はなく、家光の孫で甲府家の家宣を後継者として迎えた。しかし、家宣とその子の家継はともに短期間の治世で死去して吉宗を後継者として迎えるのである。