無荒史談 311 平家滅ぶ-宝剣が失われた2014/06/01 16:46

後白河院は平家と三種の神器の返還に関して交渉したがはかばかしくなかった。そのころ平家が屋島を根拠地としていた。防御はもっぱら海上を中心としていたが、義経が逆方向の陸地から攻め込んだ。不意を突かれた平家は海上に逃れた。義経軍はすかさず根拠地の建物に火をつけて焼いた。

 平家軍は反撃をしたものの肝心の根拠地が焼き払われては致し方なく、立ち去った。これで讃岐は源氏の勢力範囲となった。伊予は以前から源氏に心を寄せており、四国は源氏のものとなった。

 次いで義経は壇ノ浦で平家を破りこれで内戦は終了した。平家一門は宗盛と子の清宗を除き入水して自害した。平家軍に参加していた武士たちは逃げたり降参したりした。この戦の先陣で戦った山鹿秀遠すら生き延びたのである。平家累代の家臣の中にも逃げおおせた景清などがいる。

 清盛の妻二位の尼は安徳天皇を抱き、宝剣を腰にさし、神璽を懐に入れて入水した。神璽は回収されたが、宝剣はついに失われた。

 宝剣の喪失は当時の貴族階級にとり一大事であった。当時の貴族が書いた歴史書である「愚管抄」も「神皇正統記」も源平内戦の記事は少ないのに宝剣喪失に関しては多くの紙面を費やして論評しているのだ。

 あくまでも神器を平家の手から離さぬという行動であり、平家と天皇制を共に終わらせようとする行為と思う。ともあれ神器のうち二つは後鳥羽天皇のもとへ移された。

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