無荒史談87-清和源氏物語7-源頼朝22008/06/04 19:10

頼朝は範頼、義経の弟にも家臣としての扱いをしている。この意味がよくわからなかった為に二人とも粛清されたといえる。この二人を平氏討伐の大将としたのには何か意味があると思われる。無荒老の考えは、関東武士はお山の大将であり、その中の誰かを全軍の大将とすると仲間割れを生じかねないので、やむなく軍事上の実績のない弟を大将にせざるを得なかったというものである。

範頼は大して才能はなかった様である。平氏相手に可成り苦戦を続けている。義経は常識破りであった。その非常識が平氏の弱点をつき、連戦連勝となった。一ノ谷では、馬が通らないと言われた間道から騎馬武者で攻め入るし。屋島では、遠回りして陸上から攻撃するし。壇ノ浦では、非戦闘員である水主梶取を射させるのである。

義経の非常識はこれにとどまらなかった。血縁者であり、武功が在ればこそ頼朝の命令を特に遵守すべき立場にあったのにそれを破って官職に就いている。頼朝としては、この非常識が我慢できなかったのであると思う。頼朝は義経を追い込んで反逆させ、滅ぼしたのである。しかも、奥州藤原氏をも同時に滅ぼすという一石二鳥の戦果を挙げたのである。

ちなみに中世の記録では義経は反逆者である。「愚管抄」には反逆者と明記してあるし、「神皇正統記」では義経反逆の事実を無視してあるのである。現在の義経像は江戸時代の歌舞伎「義経千本桜」などによるものではなかろうか。

一方範頼は、不注意な発言が元で粛清されている。やはりにらまれていたのかも知れない。

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