「平清盛」-史実はこうだ28-平家の大将達2012/12/11 17:26

各地で反平家の動きが出ていた時期、平家軍を指揮した大将には傾向が見られるのだ。以下平家物語による。

正妻の時子が産んだ子供は割に楽な戦に出ている。苦労の多い戦はその他の人物の担当だ。

以仁王の時は無勢の頼政軍と園城寺の僧兵の連合軍が相手だが、平家軍の動員力から言えば楽勝のケースである。これには知盛と重衡が出ている。

次に近江征伐だが、これは知盛が大将である。近江の反平氏の小豪族が相手である。追いかけて美濃まで行き「出ると負け」の源行家を破っている。しかし、そこから追撃せず引き返している。

南都焼き討ちは重衡が大将である。これは僧兵が相手である。僧兵は武士と戦って勝ったためしがないのだ。

この二人は時子の子である。しかも長子の宗盛にいたっては戦場に出ていないのだ。

富士川や倶利伽羅には大将として維盛が出ている。遠くの上に補給の苦労が絶えなかった。兵糧を現地調達だが強奪することもあった。

この二つの戦には時子の子は従軍していない。これでは一族の中に不協和音が感じられるのである。

尚、頼盛は反平家の動きが表面化する前に「清盛の怒りを買い「武士を捨てる」と言うこととなっている。-この件は愚管抄による-従って頼盛一家は源氏との戦に殆ど参戦していない。又、頼朝は頼盛軍と交戦しないようにとの通達を出している。