「平清盛」-史実はこうだ33-藤原基通と天台座主明雲-平家を裏切った二人2012/12/22 17:00

平清盛の死後多くの人物が平家を裏切ることとなるがその中での大物はこの二人だろう。

藤原(近衛)基通は清盛が言うことを聞かぬ基房に替えて摂政として人物である。父の基実は清盛の娘を妻にした人物であり、この縁で近衛家は平家と関係が深かった。

木曾義仲が都へ攻めてきて平家が都落ちする時、誰もが彼は平家と行動を共にすると思っていたのであるが、途中から逃げ戻ってきたのである。勿論この後一旦摂政を止めさせられるのである。

木曾義仲が没落した後、彼は摂政に返り咲くのである。これには後白河法皇との男色関係を記した記録もある。

明雲は、清盛の支持もあって2度も天台座主となっている。平家都落ちの時比叡山に避難してきた後白河法皇に従って動かなかったのである。

以後法皇に従っており、木曾義仲が法皇と兵火を交えた時、僧兵を率いて参戦し、戦死するのである。