無荒史談39-逆臣の尊皇4-源頼朝2008/01/25 19:48

源頼朝は朝敵として扱われることが生涯に3度ある。これは恐らくレコードホールダーであろう。

最初は保元の乱の敗戦の結果で「負ければ賊」である。最終的に伊豆へ配流の身となった。これにはあまり知られざる話がある。彼は父とはぐれてから単独で1ヶ月くらい潜伏生活をしていたのである。これは平治の乱で助命された源為朝と偶然にも一致する。すぐに捕まらなかったのが助かった一因であろう。

2度目は源氏として挙兵した時である。この時は次第に実力を付け、対朝廷交渉も進めてついには赦免を勝ち取った。

3度目は源義経が後白河法皇から頼朝追討の宣旨を受け取った時である。この時は武力で示威し、逆に義経追討の宣旨を受けている。また、この事件を利用して地頭制度を導入し武士への支配力を強めている。

彼は武力で朝敵の汚名を撤回させた人物である。しかし、天皇制に関しては擁護する姿勢を変えていない。彼は挙兵以来の功臣である平広常を天皇を疎外する主張をしたことを理由に粛清している。彼は後白河法皇の崩御後は後鳥羽天皇に接近した行動を取っているのである。