無荒史談169-日本の戦-日露戦争2009/02/05 19:09

日露戦争の陸上戦の舞台となったのは、帝政ロシアの租借地であった旅順と大勢が決した後のサハリン占拠を除けばれつきとした中国の領土である。勢力圏争いの典型的な物である。

帝政ロシアの戦略には可成り無理した面があり、局地的に集中していた日本が戦闘では勝利した。特に海戦ではロシア海軍の大半を喪失させ結果ともなった。陸上では日本は国力の限界まで戦い、補給線の延びきったロシアを南満州から駆逐することに成功したに過ぎない。

これは日本の国力の限界であり、ロシアが徹底抗戦を志したら日本は敗戦した可能性すらある。しかし、ロシア国内の厭戦気分が高まりツァーリは戦争の終結をせざるを得なかった。また、欧米列強はロシアが勢力を失うのは歓迎していても、ロシアが崩壊することは望んでいなかった。列強は両者が面子を保てる範囲で戦争の終結を歓迎したのである。

この時点で日本の取るべき道はいくつかあったと思う。最終的に取ったのは欧米型の帝国主義国家を建設する道であった。それを日本古来の道と称する国粋主義でカムフラージュしたのである。他の有力な手段はアジア民族主義に転向するものであった。但し、この場合は列強の帝国主義路線に挑戦するものであるので、可成り困難な道であったのであろう。事実日露戦争後には当時のアジアの植民地では日本が決起することを期待していた人もいたようである。

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