脳死「を」人の死-移植推進派のレトリック2009/07/08 18:54

「脳死を人の死」という表現に疑問を抱いたのは無荒老だけではなかったようだ。参議院での修正意見はそれを雄弁に物語っている。

移植推進派の表現で最も気になるのは従来の心停止を持ってする死を否定していないかと言うことである。これは明確にする必要がある表現である。

もし否定しなかったならばこのような疑問を抱かせるような表現は止めて「脳死も人の死」とすべきなのである。これならば納得できる。

仮に従来の「死」を否定するのであれば、これは現実離れもよいところでは無かろうか。

脳死のみを「死」とすれば、脳死判定できる医療機関が普遍的に存在しなければならない。ところが現在の医師不足のもとで開業医や中小、地方の医療機関で脳死判定が出来るのか無荒老は疑問に思っている。脳死判定が常時出来るのは大都市の大病院だけではないかと思う。

脳死判定できる医療機関が限られていれば地方の人間は「死んでも死なせてもらえない」と言うことになるのである。

また、脳死判定を家族に負担させるのは「残酷」という暴論がある。複数の「死」の判定基準があるとき、どちらを選ぶかを決める権利があるのは患者やその家族である。このような暴論は患者や家族の人権を無視した自己勝手な議論ではないか。

現実を見据えた法案を成立すべきではないか。