無荒史談254-日本の神々-天満宮2010/03/25 18:46

菅原道真を祀る。宮となっているのは臣下としては異例の厚遇である。宮は通常皇族が祀られている場合である。

 現在は学問の神様であるが、中世では雷神としての信仰の方が多かった様である。元寇で勝利の祈祷が行われたときなど、神々のトップとして扱われているほどである。日本全国に天満宮があるのは学問の神よりも雷神として始まったのではないかと思う。

 学者の家柄から宇多天皇により藤原氏と対抗する宰相の地位に任ぜられた。しかし、パトロンの天皇は仏教の信仰が篤く、子の醍醐天皇に譲位して仏門に入ってしまった。当時の藤原氏のトップは時平であり、策略を使って道真を左遷した。道真は上皇を頼ろうとしたが、醍醐天皇は権力の所在は天皇であると言って上皇の話に耳を傾けなかった。道真はやがて左遷先の太宰府で死ぬが、その時雷神となったという伝説がある。

 ところで時平の弟の忠平は左遷後の道真と交流があったのである。後世、これが藤原氏の本流が忠平になった要因といわれている。

 道真が「雷神」から「学問の神」となったのは江戸時代の浄瑠璃-歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」に起因するのではと無荒老は思っている。

史書「愚管抄」では道真が観音の化身といわれている。それも時平を祟り殺すと言うこととなっている。この外の例を見ても中世の観音様は怖い存在であった。悪人を殺したという例も2例(聖徳太子と藤原鎌足)ある。