無荒史談33-「読み人知らず」-猿丸大夫 ― 2008/01/07 18:43
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿のこえきくときぞ秋は悲しき
古今集に読み人しらずとして採録されている。この歌の題はその前の壬生忠岑(古今集の選者の一人)の歌の題が「これさだのみこの家の歌合のうた」とあり、この歌の前に題を改めて記してないので、同じ題である。この歌が百人一首には猿丸大夫の作となっている。
これさだのみこは光孝天皇の皇子であり、宇多天皇と同母の兄弟である。また、壬生忠岑は古今集の編者でもある。これから見るとこの歌の作者に関する情報を忠岑は持っていたと考えられる。何か理由があって作者が書かれなかったと見るべきであろう。
一方で猿丸大夫は百人一首の作者順では5番目でその次が大伴家持である。この位置では奈良時代の人物と言うことになる。しかし、万葉集にも作品は出ていない。奈良時代とすれば題に示された歌合の会に出席したとは考え難い。また、古今集の真名序(漢文)には大伴黒主が猿丸大夫の和歌の系統であるとされているが、これからも奈良時代の人物として扱われるのがよい。大伴黒主は平安初期の人物と言われている。
猿丸大夫自体その存在が疑問視されている人物でもある。文献に残っているのは、古今集の真名序くらいである。
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