無荒史談37-逆臣の尊皇2-藤原基経 ― 2008/01/21 19:50
藤原基経は甥に当たる陽成天皇を廃位したとして皇国史観華やかなりし頃非難されていたことがある。しかし、この件に関しては最近は名誉回復されている様だ。
陽成天皇は基経の甥であったが、次に擁立された光孝天皇は基経と血縁関係にない。これだけの不利な条件に従っても彼は陽成天皇の廃位に踏み切ったのである。
陽成天皇は暗君であり、乱暴者として名高い。宮廷内で殺人さえ犯している。天皇を処罰することは出来ないので、譲位を強要したのが真相である。
光孝天皇は僥倖に驚き、基経の意見による政治を行っている。以前に述べた様に光孝天皇は皇位に野心はなく、全ての皇子皇女を臣籍に下しているほどである。その臨終の床で始めて後継者に触れ、当時臣籍にあった宇多天皇を推薦している。
彼の目は正しかった。宇多天皇に続いて醍醐天皇、村上天皇と言った英邁な君主がその後誕生している。ちなみに後醍醐天皇や後村上天皇はこの時代を理想として自分の諮号としたのである。
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