無荒史談158-日本の戦-応仁の乱2009/01/03 19:44

足利将軍は、尊氏、義詮の2代は文字通り武将であり戦乱に明け暮れた。3代の義満で戦乱は収まったが、安定していたのは此処までと言える。4代の義持はどうにか体制の維持は出来たが次の義教は家臣に暗殺されている。

この頃になると氏族内の争いは特に名分を必要とせずに行われるようになり、家臣団を二分して熾烈を極めた。しかも有力家臣の中にはこの期に乗じて主君の領地の支配権を握ろうとする連中も出てくるのである。「下克上」の始まりである。

将軍の権威は衰退していたが、それでも後継者争いが生じそれを武力で解決いようとしたのが応仁の乱である。ところが招集された武将達はあまり真剣に戦をしていない。にらみ合いが殆どである。

武将達は自分の領地のことが気になっていた。自分のいない間に反対派に領地を取られる心配があり、有力家臣の下克上にも気を付けねばならなかった。朝倉氏のように下克上の成果を公認してもらうのに相手側に寝返った武将もいた。

そのうちに領有権は実力がものをいうようになり、一々お墨付きをもらう必要は感じられなくなった。武力がものをいう戦国時代の始まりである。足利幕府が支配する地域は少なくなっていく。幕府の経済力に寄生していた貴族階級や皇室は貧困に沈んでいく。

なお、戦国時代と言っても民衆の支持がなければ何時寝首をかかれるかわからない。支配地を安定させ、兵糧を確保し、軍資金を貯めねば勝ち残れなかったのである。しっかりした行政が出来たものが勝ち残ったのである。