無荒史談161-日本の戦-朝鮮出兵2009/01/12 19:00

豊臣秀吉の戦いは2種類ある。一つは緊急事態に上手く対応して成果を上げた例で、北陸撤退の殿軍と山崎の合戦がある。もう一つは得意とした城攻めである。水攻め、兵糧攻めなど味方の損害を最小限にして難敵を倒す場合である。賤ヶ岳の場合、大軍を動員しており後者に近い。この場合相手を良く研究しているのである。

ところが朝鮮出兵は彼らしくない戦法を取る。全くと言ってよいほど李氏朝鮮を研究していないのではないか。これは麾下の諸将も同様である。

秀吉は日本の物差しで全世界を見ていたようだ。日本国内での征服手法で明まで征服できるとの妄想を抱いていた。戦闘になれた日本の武士が不意打ちをかけた初戦こそ戦果を上げたが、時間が経つにつれて無理が表面化してくる。しかも日本の場合は占領地の民衆のことを念頭に置いて行動していた日本の武士が朝鮮では民衆のことを無視してしまったのである。

日本軍内部の内輪もめもかなりあった。各武将の対外交渉もばらばらであった。明が李氏朝鮮の求めに応じて介入すると朝鮮半島の南部まで退却せざるを得なくなった。

日本軍は秀吉が死ぬとあっさりと戦争を止めて帰国してしまった。後に残ったのはポスト秀吉の争いと亀裂の深まった家臣団である。