無荒史談165-日本の戦-倒幕2009/01/24 19:39

圧倒的な軍事力の差を目の当たりにして日本は開国を選ぶこととなり、幕府はもとより有力大名は海外の情報収集や武器の購入に走った。そこで対策として国内は二分することとなる。

一つは徳川幕府自体を改革して難局に対処しようとするもので「佐幕派」である。もう一つは新しい政治体制を作って対応しようとする「勤皇派」である。

徳川幕府には往年の統率力はなくなっていた。蛤御門の変から始まり、長州征伐の失敗で行き詰まってしまい大政奉還する羽目となった。しかし、勤皇派は追い打ちをかけた。鳥羽伏見の戦いで幕府軍は破れ、その後徳川慶喜は恭順するしかなかった。

それでも勤皇派は追求を止めようとしなかった。外国の公使からそれは法的におかしいといわれて始めて気が付く始末であった。