無荒史談36-逆臣の尊皇1-蘇我馬子 ― 2008/01/18 18:51
彼は崇峻天皇暗殺の黒幕といわれている。しかし、彼は実行犯を即座に殺している。真相は闇の中といえる。故意に真相が知られなくなる様にしたとも勘ぐられても仕方が無い。
崇峻天皇暗殺事件の後、推古天皇が即位している。彼女は蘇我氏での母から生まれているが、皇室の一員であり、そのように振る舞っている。何も馬子が帝位を望んだという証拠はない。
崇峻天皇は献上されたイノシシの首を切りながら「私の憎んでいる人物の首をこのように切りたい」と言ったと伝えられる。この憎んでいる人は定説では馬子と言うことになっているが、確証があるわけではない。他の人物であったのを馬子が自分のことと勘違いしたのか、他の人物が天皇の意志を知り暗殺を図ったのかも可能性として完全に否定されているとはいえない。
崇峻天皇が暗殺された時、馬子を非難する声は少なかった様だ。聖徳太子も馬子を責めなかったとして批判されている。一方、崇峻天皇の方にも問題があったのかも知れない。中世の史書「愚管抄」では無能な天子扱いである。「神皇正統記」でもあまりよく言われていない。
馬子は天皇制に関しての認識があったと思われる。それが解らなかった不肖の子孫がおかしな考えを起こし、大化の改新で蘇我氏が滅ぶ結果となった。
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