無荒史談159-日本の戦-天下布武2009/01/06 19:13

日本の戦国時代は時とともに領国の拡大が進み、数カ国を支配する大名達の争いの感を呈してきた。次なるものは有力大名による天下統一の企てである。まずこれに取りかかったのが今川義元である。彼は京都を制圧する目的で大軍を率いて出発した。

ところが彼は桶狭間で織田信長の為にあっけなく戦死してしまう。この戦は義元が各地へ兵を出し本陣が小人数であったところに信長の軍の主力が襲いかかった戦として知られている。信長軍の移動が雨の中に行われたことや、本陣の位置が推定できたことなど天の時、地の利を味方に付けたことも大きい。

当主の戦死で勢力を失った今川氏、新規に独立し味方に付いた徳川氏と東からの脅威がなくなった信長は美濃を攻める。そして落ちぶれた足利将軍を担いで近畿に進出する。軍事だけでなくいろいろな手段を用いて勢力を増大した。本願寺との和議では朝廷の力を利用している。信長の戦法は桶狭間の戦いの方が例外で、大軍と多量の鉄砲で相手を圧倒するのが普通である。

朝倉氏、浅井氏、今川氏、武田氏を相次いで滅ぼし、次は毛利氏の番であった。ところが明智光秀の反逆であっけなく死ぬのである。光秀の立場は所領の配置から見て「近衛師団長」であり、信長親衛隊の隊長でもあったのである。この時は信長親征に同行する立場だったのである。

無荒老は光秀は「魔が差した」と思っている。天下人とその後継者が殆ど兵を持たずに目と鼻の先に逗留している。自分は出征命令を受けているので大軍を率いることに誰も疑いを持たない。信長、信忠父子を殺せば天下は自分に転がり込む。あまりにも旨い幻想に遂魔が差したと思っている。現実には光秀に同調する武将は一人もなく、彼は孤立無援のうちに敗死するのである。

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