無荒史談84-清和源氏物語4-源義朝32008/05/26 19:43

保元の乱で、武士達の招集に力を発揮したのは、藤原信西である。彼の努力が実力者の招集に実を結んだ。義朝は父為義を敵に回した。また、他の有力な清和源氏の武将は義朝と同じ後白河天皇方に付いていた。源頼光の子孫の頼政、足利氏の開祖の義康である。平氏では清盛が一族を連れて参加している。この時崇徳上皇方に入る可能性があった弟の平頼盛も又、一族と行動を共にしているのである。頼盛は平治の乱で活躍する武士である。

乱後の処罰は武士に厳しかった。源氏系の武士は源氏の手で、平氏系の武士は平氏の手で首を切られたのである。しかし、貴族階級では、流れ矢に当たって戦死した藤原頼長を除けば命を落とした人物はいなかった。

恩賞も差別的であった。父の代に殿上人であった清盛に厚く、東国武士であった義朝には薄かった。これは当時の貴族の階級意識から見れば清盛の方が厚遇されてしかるべきであったのである。この時に政治の主導権を握っていたのは信西であった。

義朝は官位の上昇を願い、信西に近づこうとしたが、あまりはかばかしい結果にはならなかった。この時後白河上皇の寵童藤原信頼が、信西に対抗して政権を取ろうとした。彼が義朝を誘ったことで平治の乱が起こるのである。