「平清盛」-史実はこうだ9-信西2012/06/20 18:49

信西なる人物はその才能に似ず不可解な行動をとったと慈円の「愚管抄」にある。つまり源義朝の怨みを買うようなバカな行動をとったと言うことだ。

信西は非凡な実務才能を持っていた。これを武器に鳥羽上皇に取り入り、後白河天皇の側近に横滑りしてきた。保元の乱では彼の才覚が勝利を呼んだとも言えるのである。その後も非凡な実務才能を示しているのだ。従来の摂関家のシステムで出来なかった内裏造営を見事に短期間少費用で成し遂げている。

保元の乱は源氏の分裂がとり沙汰されている。親子の関係が協力よりも憎悪が勝ったのではないか。そこを取り入れたのは信西と思う。仮に義朝が崇徳陣営にいたら結果はどうなっていたか分からない。義朝は後白河陣営にいて為義と激戦をしたのである。

保元の乱後新興勢力の最たるものは信西と義朝である。義朝は婚姻政策で信西と結ぼうとした。新興勢力同志が結んで勢力伸長をしようとしたものと思われる。ところが信西はこれを拒否しただけでなく、義朝を侮辱したのである。

しかも、平氏とは婚姻政策を進めている。わざわざ源平の仲を裂こうとしたものだ。仮に信西が源平両家をともに盟友としたならば歴史は大きく変わったであろう。

この行動は非情に高くついた。まもなく彼は義朝の手兵によりその生命を絶たれたのである。

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