無荒史談24-百人一首の高僧達-付けたり女官のこと2007/12/13 19:08

百人一首の坊主札は14枚ある。そのうち蝉丸は琵琶法師である。

残りの13人の大半は歌人法師として知られている。中には出生の不明な人物もいる。

3人だけが僧侶としての位を持っている。それは次の人物である。

僧正遍照

前大僧正行尊

前大僧正慈円

これらの人の事績を述べようと思う。この三人に共通するのは貴族の出であるということと、それに甘んじないで修行を積んで仏教界に認められる人物となったことである。

百人一首には多くの女官が作者として名を連ねている。しかし、彼女らはこの史談に取り上げられる種の業績はないのでこの史談では触れない。平安時代は才女のニーズが極めて大きい時代であった。彼女らは摂関家の娘が天皇に気に入られるようにする為の家庭教師の役割を担っていた。

同時代に生きた紫式部と清少納言の場合、文才を別とすれば、仕えた上東門院が2人の天皇の母となった紫式部が本職の勝利者であり、主君から天皇が生まれ出なかった清少納言が敗者である。勿論自分が帝の子供を産んだ伊勢は失格者である。

再生医療に期待する2007/12/14 21:07

京都大学の万能細胞の成功に続いて、今度は大阪大学で再生医療の心臓手術が成功したとのことである。

無荒老は、脳死移植は医学の邪道であると思っている。このような再生医療が更に進歩することが望ましいと思う。

脳死移植は「他人の不幸を当てにする」という方法を採らざるを得ない。また、今までの経過が示す通り、ドナー数が問題を解決するほど増加するとは考え難い。これに対し再生医療は自分の細胞から取り出すので、問題はない。

脳死移植は拒絶反応という致命的な問題がある。拒絶反応を抑える為の副作用は無視できない。再生医療はこの点がない。

無荒老は再生医療が今後の医療の進むべき王道だと思う。移植医療はそれが実用化するまでのつなぎであろう。今後の再生医療の進歩に期待するものである。

無荒史談25-百人一首の高僧-僧正遍照2007/12/15 19:30

天津風雲の通い路吹きとめよ乙女の姿しばし留めん(僧正遍照)

この歌は他の僧侶の歌と違い坊主臭さがない。その筈である。古今集には「良岑宗貞」の歌となっている。つまり彼が出家する以前の歌である。古今集には僧正遍照と良岑宗貞と区別して掲載されている。つまり、百人一首の読み札では、遍照の名前と僧侶姿の代わりに良岑宗貞という殿上人の名前と絵が描かれているべきである。江戸時代の知ったかぶりが、この歌を坊主の作としては不謹慎だといって笑われたという逸話も残っている。

彼は、桓武天皇系統-桓武天皇の孫-の賜姓貴族である。仁明天皇の近臣として仕えている。天皇の崩御に当たり悲しみのあまり出家した。古今集にはその時の気持ちを示す歌が残されている。

みな人は花の衣になりにけり苔の袂よ乾きだにせよ

彼は比叡山に入って落飾した。その後円仁、円珍という高僧の指導を受け、宗教界でも出世し、僧正の位になった。陽成天皇、光孝天皇の護持僧を務め、僧正の位を賜っている。

彼の父良岑安世は、比叡山が大乗戒壇を設立するに際し、朝廷に於いて協力した人物として知られる。円仁、円珍が厚遇したのも頷ける。 また、光孝天皇は、仁明天皇の皇子であり、近臣であった遍照と親しかったと考えられ、通常一代限りであった護持僧を前代から引き続いたのもその現れと思われる。

光孝天皇は遍照の七十の長寿を祝い次の歌を詠んである。

かくしつつとにもかくにも永らえて君が八千代にあふよしもがな

なお、彼が在俗の時に儲けた息子が素性法師である。彼は宗教界では大成しなかったが、歌人としてその名を残している。

今こむと言いしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

インド洋給油について2007/12/17 19:58

新テロ対策法案に対して世論調査を見ると賛成派よりも反対派の方が多く、調査によっては反対派が過半数に達している。

これは政府の説明のまずさがまずあげられる。「日米同盟」なるものの重要性がさっぱり解らないのである。実は無荒老も理解できないのである。政府が言うような同盟が締結されたり国会で批准されたという記憶はない。この説明がないのに国民に納得できるようなインド洋給油の意義の説明が出来るわけはない。

また、米国内部の事情も不透明である。現在必ずしもブッシュ大統領の政策が米国民に支持されているわけではないようだ。現在ブッシュ大統領の政策を批判なしに支持しているのは日本の自民党政府だけではないかと思われる。

米国のイラク・アフガン政策はどうやら失敗であったようである。アルカイダやタリバンの方が作戦勝ちと思われる。このざまだから北朝鮮になめられたような感じさえ受ける。

今までタダで貰っていた油が供給されないのだから貰っていた諸国は続けたり再開したりしてくれと言うのは当然である。そのためなら何とでも言うであろう。

要はアフガンで目に見えた効果が上がるように使われることである。更に何時になったら終了するのかメドが立つことである。今のような泥沼に貴重な税金を使うのは国民の理解が得られにくいのではないか。最初の計画ではとうの昔にインド洋から自衛隊は任務完了で帰国しているはずであることを考慮して発言して欲しい。何故延びたのか、今後の見通しはどうかという説明は日米いずれの当局者からもなされていない。言っていることは言い訳だけである。

無荒史談26-百人一首の高僧-前大僧正行尊2007/12/18 18:52

もろともにあわれと思え山桜花より他に知る人もなし(行尊)

行尊は三条天皇系の源氏-源氏は多くの帝から出ている-の出身である。少年時代に園城寺(三井寺)に入った。17才から18年修行の旅に出ている。いくつか各地に伝説も残っているようだ。霊験無双な験者として尊ばれついには鳥羽上皇の護持僧となっている。

崇徳天皇の時代-鳥羽法皇院政中-天台座主に任命されたが、当時は延暦寺と園城寺の抗争が激しく、園城寺の僧が比叡山に登るのは困難な情勢にあったせいか、任命のお礼に上洛したその席で、天台座主を辞退した。在位期間5日と記録にある。