無荒史談17-百人一首の摂政達 ― 2007/11/26 19:45
百人一首の男性作者名には一つの原則がある。
位の低い人は姓名が書いてある。-例 紀貫之
やや位の高い人は官職と名前が書いてある。-例 中納言家持(大伴家持)
大臣クラスでは名前も使われなくなる。摂政の身分であれば当然名前が書いてない。此処で取り上げる百人一首の詩人である4人の摂政も当然姓名は書いてない(4人だけである)。先に百人一首上の作者名を挙げ、その後に本名をあげると次のようになる。
1 貞信公 藤原忠平
2 謙徳公 藤原伊尹
3 法性寺入道前関白太政大臣 藤原忠通
4 後京極摂政前太政大臣 藤原良経
摂政と関白合わせて1人がなるわけであるから、なるのも一苦労である。それだけの素質とうんが左右するのである。条件は次のものがある。(勿論例外もあるが)
1 自分の娘か同母の姉妹の子供が天皇となる。--これは後に近親結婚の結果子供が出来なくなり条件でなくなった。
2 父が摂政又は関白であること。--若干の例外はあるが一家族が独占している。
3 政治家としての力量が貴族層に認められている。--無能力な人物は摂政や関白になることは少ない。地位を目の前にして排除された例もある。
4 太皇太后、皇太后などの有力女性に好感を持たれていること。--これによる逆転劇もいくつかある。院政時代にはこれが上皇の意志に取って代わっている。
5男坊であった藤原道長が最高位に登ったのもこの原則全てを満たしたからといっても過言ではない。
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