無荒史談18-百人一首の摂政-藤原忠平 ― 2007/11/28 18:57
小倉山嶺のもみじ葉心あらば今ひとたびの御幸またなむ(貞信公)
藤原忠平-貞信公は諮号-は菅原道真と争った兄時平の死をうけて政界のトップに立った。菅原道真の左遷が強烈な印象を与えているので、彼の存在の重要性はあまり歴史書に示されていない。
忠平は平安時代の中でも卓越した政治家の一人である。また、個人としても可成り魅力ある人物であった。朱雀天皇から村上天皇の前半まで摂政・関白であった。(現役のまま死去)
忠平は菅原道真と交流があり、それは道真の左遷後も続いている。道真の怨霊話では、この交流により彼の子孫が栄えたことになっている。彼は教えを請う面でも謙虚であったようだ。
剛胆な人物であったようだ。大鏡には彼が宮中で鬼を追い払ったという武勇伝が残されている。
また、平将門を調伏する儀式の中で奇蹟-声はすれども姿は見えず-を表したと愚管抄にある。
政治家として、将門、純友の乱を手際よく解決したことがあげられる。危機管理能力も後世の摂政などから見れば雲泥の差があると言える。
彼は健康にも恵まれ長寿でもあった。彼の政治上の実績と長寿の結果彼の子孫が摂関の地位を独占することとなる。
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