無荒史談19-百人一首の摂政-藤原伊尹2007/11/30 19:12

あわれとはいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな(謙徳公)

藤原伊尹-謙徳公は諮号-は藤原忠平の孫である。円融天皇が甥に当たることから叔父の後を継いで自然に摂政の位に就いた。しかし、その地位にあること僅かに2年で死去した。

伊尹は毛並みがよく、立ち居振る舞いも優雅であり、派手好みで文才のある貴公子であった。

短命であったのは、父の葬儀を遺言どおりに簡素にせず贅沢にした為だとも噂された。彼の死後は弟たちが摂政となり、末弟の兼家の家系が摂関家の主流となる。

孫に当たる花山天皇の即位で、この家系が摂関家に返り咲く機会が訪れたが、当主が若年で関白の地位を確保する前に天皇が兼家一家の謀略に引掛かって出家した為、ついに主流となることは出来なかった。