無荒史談132-日本仏教物語-狂信の時代2008/10/18 19:16

元正天皇の時代には、諸国の仏寺が荒れている様子が述べられている。それは僧侶の堕落によるものと記されている。早くも奈良時代に皇室の崇仏を悪用して私腹を肥やそうとする連中が出てきたことが伺われる。

皇室の崇仏は聖武天皇と孝謙(称徳)天皇の時に狂信的な水準に達している。異常としか考えられない状況である。仏教への急速な傾注は735年頃からの天然痘の大流行と740年の藤原広嗣の反乱を期に始まった様である。その後は従来の制度に反することが出てくる。例えば従来は僧侶の定員があったのであるが、多数の得度を行っている。

寺院はもっぱら中央に関するものが歴史書に記されていたが、聖武天皇は都だけでなく諸国にも仏寺を建てた国分寺、国分尼寺がそれである。そして最後に大仏の建立を行ったのである。

一方で寺院はこの頃には早くも領地の獲得に力を入れている。寺院が土地を購入することの禁令が出るほどである。経済的に無視できない勢力になったとも言える。またこの頃から僧尼の戒律違反が表面化してきてしばしば朝廷から禁令が出てくるようになる。特に平安時代にはいると多くなっている。

極めつけは孝謙上皇と道鏡に見られる関係である。独身であった称徳(孝謙)天皇はなんと道鏡に皇位を譲ると言い出したのである。この話は結局成立せず、帝位は光仁天皇に移ることとなった。道鏡は左遷された。左遷で済んだのはことを明らかにすると称徳天皇の名誉に関わるので、音便にしたのだと無荒老は思う。

光仁天皇の即位後は、僧侶が政治の表面に出ることはなくなった。皇室の崇仏は変わりないが、聖武天皇以降の極端な行動は影を潜めた。

なお、この頃から破戒僧に対する処置が記録に残り始めてくる。再三にわたり天皇の命令が出ているのである。